リタレストレンジが乗っていた船はタイタニック号?年代や航路について調べてみた!

ファンタビとタイタニック号の関係

2018年11月に公開された、ファンタスティック・ビースト2(邦題:黒い魔法使いの誕生)。

2019年3月20日には先行でデジタル配信され、4月24日にはDVD・ブルーレイの発売も予定されています。

まだまだ熱冷めやらぬファンタビ2、今作のキーパーソンであるリタ・レストレンジについて、

  • リタ・レストレンジの過去とは?
  • 乗っていた船はタイタニック号だった?

ということを調べて考察したので、書いていきたいと思います。

※本記事にはファンタビ2(黒い魔法使いの誕生)のネタバレが含まれています。ご注意ください。

リタ・レストレンジの過去とは?

まず、作品中に出てきたリタ・レストレンジの大まかなプロフィールは以下の通りです。

  • 純血の一族であるレストレンジ家の一人
  • ニュート・スキャマンダー(主人公)と同学年で親友
  • テセウス・スキャマンダー(ニュートの兄)の婚約者

 

そして、作品中の回想シーンで明かされた過去は以下の通りです。

  • 異父兄(ユスフ・カーマ)と異母弟(コーヴァス・レストレンジ)がいた
  • 異父兄の復讐から幼い弟を守るために、アメリカへ養子に出すよう父親から指示される
  • 小間使いのハーフエルフと共に船で弟をアメリカへ連れ出す
  • アメリカへ向かう途中で船が沈没する
  • 沈没前に弟を別の母親の子どもと入れ替えていた
  • リタと小間使いのハーフエルフ、取り替えた赤ん坊は助かったものの、実の弟は亡くなってしまった
  • リタと対峙したボガート(人が一番怖いと思うものに変身するまね妖怪)の姿は海に沈んでいく赤ん坊

 

何とも悲しい過去を背負っていますよね…

一回目の鑑賞時にリタのボガートを見たときは何を表しているのか分からなかったのですが、

終盤に差し掛かって上に書いた過去が明らかになってもう一度見直したとき、

まだ幼い弟を自分の行動のために亡くしてしまったリタを思い、泣きそうになりました。

 

ハリポタシリーズに出てくるレストレンジ家の人間と言えば、ベラトリックス・レストレンジ

ヴォルデモートを信奉している闇の魔法使い・魔女という印象が強いですが、仲間に引き入れようとするグリンデルバルドの手を振り払って立ち向かったリタ・レストレンジの姿はそのような印象(ベラトリックス・レストレンジの印象)とは全く異なるものでした。

 

ちなみに、ここでリタが取り替えたために助かり、後に養子に出されたのが、クリーデンス

その母親のことは明かされていないため、クリーデンスの生い立ちの謎はより深まりました。

乗っていた船はタイタニック号だった?

さて、リタの回想シーンで船が沈没する場面がありましたが、船の沈没事故と聞いてあなたは何を思い浮かべますか?

私はやはり、あの有名なタイタニック号の沈没事故です。

そのタイタニック号に、もしかしたらリタも乗っていたのでは?と思い、実際に調べてみました!

 

まずは、タイタニック号の沈没事故について(Wikipediaより)。

  • 1912年4月に発生
  • サウサンプトン(イギリス)からニューヨーク(アメリカ)に向かっていた
  • 北大西洋を航行中、氷山に衝突した

 

続いて、タイタニック号沈没事故が発生した当時のリタはどうしていたのでしょうか?

  • 1912年4月当時は15~6歳(ニュートと同学年で1896~7年生まれのため)
  • 1908年9月にホグワーツに入学しているため、在学期間中にあたる
  • ホグワーツには「クリスマス休暇」(12月~1月)、イースター休暇(3月末~4月)、夏季休暇(7月・8月)があり、イースター休暇で帰っていたときの出来事とも考えられる
  • しかし、作品中に「休暇だけども家には帰らない」という描写があったため可能性は低い

※クリスマス、イースターの休暇中に帰省するのは強制ではなく、ニュートも「動物たちの世話をしないといけないから帰らない」と言っていました。

 

以上のことから、リタが乗っていたのはタイタニック号ではなかったと推測されます。

まだ赤ん坊の弟を連れてニューヨークに向かっていたリタは、15~6歳というには幼い印象でしたしね…

 

しかし、タイタニック号について調べていくと、やはり当時の造船技術や通信技術などはまだまだ未熟だったようで、衝突事故やあわやといったことは多かったもよう。

乗っていた船がタイタニック号ではなかったというだけで、リタが船の沈没事故から奇跡的に生還できたということに違いはないですね。

 

以下は、Wikipedia「タイタニック号沈没事故」より引用です。

北大西洋の定期便では何よりも定時航行を最優先事項として、公示された時刻に必ず到着できるようスケジュールを厳しく守ることになっていた。したがって、しばしば限界に近い速度で航行せざるを得ず、危険に対する警告も、行動を要請するものというよりは単なる注意程度のものとして扱っており、氷も大したリスクではないと広く信じられていた。船の衝突を危機一髪でかわすことも日常的であり、正面衝突ですら今まで大事故にはなっていなかった。1907年にドイツの定期船SSクロンプリンツ・ヴィルヘルムが氷山に激突して船首が大破することとなったが、それでも航海を完遂できた。

 

調べていくほどに奥が深いハリポタワールド。今後も目が離せませんね。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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